東京高等裁判所 平成10年(行ケ)144号 判決 1999年11月09日
原告
A
訴訟代理人弁理士
B
被告
特許庁長官 C
指定代理人
D
同
E
同
F
主文
特許庁が平成7年審判第1926号事件について平成10年3月11日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
主文と同旨
2 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
株式会社ヴァンテックスは、考案の名称を「ラベル剥がし保存具」とする考案(以下「本願考案」という。)について平成2年8月29日に実用新案登録出願(平成2年実用新案登録願第89415号)をしたところ、平成6年11月7日に拒絶査定を受けたので、平成7年2月7日に拒絶査定不服の審判を請求し、その後、平成8年9月に本願考案について実用新案登録を受ける権利を原告に譲渡した。特許庁は、上記請求を平成7年審判第1926号事件として審理したうえ、平成10年3月11日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本を同年4月15日に原告に送達した。
2 実用新案登録請求の範囲
裏面に接着剤を適用した接着層を有する透明プレートと該透明プレートより広い離型シートとからなり、ラベルより広い透明プレートの接着層をラベルの表面に押圧して、容器からラベルを剥がし、再度離型シートに粘着させた状態で、離型シートの側部にバインダー等により保存できるファイル代を有することを特徴とするラベル剥がし保存具。(別紙図面参照)
3 審決の理由
別紙審決書の理由の写しのとおり、本願発明は特開昭59-198197号公報(以下「引用例」という。)記載の発明に基づいて当業者がきわめて容易に考案することができたものであるから、実用新案法3条2項の規定により実用新案登録を受けることができないと認定判断した。
4 本願明細書の記載
本願明細書には、次の記載がある。
(1) 「本考案は、ワイン、清酒、ブランデー等を収容したビンや缶といった容器に貼布されている各種のラベルを破ったり傷つけたりすることなく容易に剥がし、その後これを展示保存しておく器具に関するものである。」(甲第3号証の明細書(全文訂正)1頁12行ないし14行)
(2) 「ラベルを容器から剥がすには、容器を水に浸けてラベルの接着剤を溶かす必要があるが、それには非常に長い時間がかかるばかりでなく大量の水が必要である。その上きれいに剥がすことが難しく、剥がす途中で破れたり傷ついたりするし、水を多量に吸収しているので剥がした後には乾燥させる必要もある。さらに、・・・従来は別途保存のための器具をも必要としていた。」(同1頁19行ないし25行)
(3) 「本考案によってはじめて、ワイン等の各種ラベルをきわめて簡単にかつ損傷することなく容器から剥がすことに成功しただけでなく、そのまま各種ラベルを展示したり保存したりすることもはじめて可能となったのである。」(同3頁下から6行ないし4行)
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由【1】は認める。同【2】は、引用例の記載事項の摘記部分(2頁18行ないし4頁4行)を認め、その余を争う。同【3】は、一致点の認定(4頁18行ないし5頁6行)を争い、その余は認める。同【4】、【5】は争う。
審決は、一致点を誤認し、相違点を看過し、また、相違点1ないし3についての判断を誤ったものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
1 取消事由1(「所要の印刷表示面より広い」の一致点の誤認)
引用例記載の発明は、所要の印刷表示面(剥ぎ取るべき印刷面)と等しい透明プレートの接着層を印刷表示面に押圧するものである。
引用例記載の発明は、このように押圧された接着層のすべての面に対応する部分が剥ぎ取られるのに対して、本願考案は、ラベルより広い透明プレートの接着層をラベルの表面に押圧するのであって、その理由は、ラベルより広い接着層の余分の部分を用いて、後に再度離型シートに接着しラベルを保持するものであるからである。したがって、両者は、この点に関して一致していない。
2 取消事由2(引用例の必須の構成から生ずる相違点の看過)
引用例記載の発明も、「透明プレートに印刷表示面を接着した状態で剥がし取った後、透明プレートの周縁部に残った接着剤により他の部材に接着して剥がし取った印刷面を保存するもの」ではあるが、そのためには、「フィルム背面の周縁部にセパレータを残したまま印刷面に接着させ、フィルムを剥がした後、該セパレータを剥がして」の工程及びそのような方法が行える構造が必須である。これに対して、本願考案にはこのような構成は全くない。審決は、この相違点を看過している。
3 取消事由3(相違点1についての判断の誤り)
引用例記載の発明は、例えば新聞、雑誌等の印刷物における印刷面のみを剥がし取るものであるから、これをそのまま容器等の「ラベル剥がし」として利用することができないことは、純粋に技術的な観点である接着強度の点からみても、明らかである。
そもそも、本願考案と引用例記載の発明とでは、剥がし取るという点では共通するとはいえ、剥がし取る対象において、一方が容器等のラベルであるのに対し、他方は新聞、雑誌等の印刷物の印刷面であるという大きな相違のあるものであるから、両者は全く異なる技術分野に属するものというべきである。このようなとき、引用例記載の発明を本願考案の容器等のラベルに適用することが、当業者にとってきわめて容易であるとすることはできない。
ラベル剥がし保存具という物自体の公知例は示されていないから、本願考案は、公知のスクラップ方法又は手段を他の分野に適用したものではなく、ラベル剥がしという技術分野において、それまで全く存在しなかった新規なラベル剥がし保存具の構造を提供したものである。このように、本願考案は、全く新規なラベル剥がし保存具を創作したのであるから、課題の容易性等を論じる余地はないのである。
4 取消事由4(相違点2についての判断の誤り)
感圧性接着剤層を用いたラベルは周知であり、紙片の余白を綴じ代とすることも周知である。しかし、周知の技術手段であるからといって、それだけで直ちにすべての技術分野のものに対して容易に適用できるというものではない。
上記ラベル等この点において周知とされるものは、いずれも、一度剥がしたラベルを再度離型シートに戻すものではなく(間違って剥がして、元に戻すことはあるかも知れないが)、いわば離型シート上に仮止めしているという形態のものであり、本願考案と技術分野、技術的課題、作用効果が違いすぎるものである。
ファイル代に関しても、一般的な紙片の余白とラベル剥がし保存具の離型シートの一側に設けたファイル代を同一視することには、無理がある。本願考案におけるファイル代は、一般的な紙片の余白ではないから、これをもって単なる周知手段の付加又は適用とすることはできない。
5 取消事由5(相違点3についての判断の誤り)
審決が相違点3についての判断において説示する「紙状部材に設けた接着剤層に離型シートを貼り合わせたもの」が具体的に何を指すのか明らかでない。仮に、例えばアルバムを意味するとすれば、アルバムは一種のバインダーであって、粘着剤を施した台紙に透明プレートを圧着、剥離自在とし、両者の間に写真を挟持するものであるから、構成、作用効果、技術分野に関して、本願考案とは全く異なるものである。さらに、アルバムは一種のバインダーであるから、それ自体で何も剥がし取らないし、剥がし取ったものを保存することもできないのであって、この点でも、本願考案とは技術分野において全く無関係な技術的手段である。したがって、アルバムのような単なる粘着剤による2枚のシートの圧着・剥離自在手段が、ラベルを剥がしてそのまま保存するための物にきわめて容易に適用できるとする根拠、理由はない。
審決の論法は、引用例記載の発明をラベル剥がしに利用できるようにすることは容易で、そのような「ラベル剥がし」ができたら、離型シートを大きくしてファイルすることは容易にでき、そこまできて「ラベル剥がし保存具」の形になったなら、同じようなファイルは周知であるから透明プレートを再度貼ることなど容易であるというものである。すなわち、審決は、互いに積み重なった各ステップを、下の方から一つずつ容易であるとし、各々のステップがいずれも容易であるからすべてが容易という論法を取っている。しかし、このような容易性の判断手法自体、誤りというべきであるから、その手法による審決の判断も誤りである。
第4 被告の反論の要点
1 取消事由1(一致点の誤認)について
本願考案の「ラベルより広い透明プレートの接着層をラベルの表面に押圧」という構成は、ラベルを透明プレ-トで剥ぎ取った後、ラベルより広い接着層の余分の部分を用いて再度離型シートに接着するためである。そして、引用例記載の発明も、セパレータを剥がすことによって、透明プレートによって剥ぎ取った印刷面よりも広い接着層の面を構成し、セパレータを剥がした部分をもって保存具に接着するものであるから、両者の技術的思想は、この点で同一である。引用例記載の発明は、剥ぎ取ってはいけない部分を保護するためにわざわざセパレータを残しているのであって、この保護の必要性がなくなった段階では、印刷表面を剥ぎ取った透明プレートを、セパレータに対応する接着層の面を用いて、再度保存具に接着するものであるから、「ラベルより広い透明プレートの接着層をラベルの表面に押圧」するように構成した点で一致するとした審決に、何ら誤りはない。
2 取消事由2(相違点の看過)について
本願考案の実用新案登録請求の範囲は、「容器からラベルを剥がし、再度離型シ-トに粘着させた状態で」と記載されているのみであり、この記載は、「フィルム背面の周縁部にセパレータを残したまま印刷面に密着させ、フィルムを剥がした後、該セパレータを剥がして」シ-トに粘着させるという態様を排除するものではなく、当然上記態様をも技術的範囲に包含するものである。
3 取消事由3(相違点1についての判断の誤り)について
本願考案も引用例記載の発明も、粘着層を有する透明プレートを用いて印刷物(ラベルも含む。)を剥ぎ取り、これを保存するという技術的思想では同一のものである。
ラベルを何らかの方法で剥がしてスクラップブック等に貼り付けて保存することは、本願出願前より行われていたことであり、かつ、ラベルの収集家にとって、ラベルを傷つけることなくきれいに剥がしたいという技術的課題が本願出願前より存在していたことも明らかである。そして、引用例にも印刷面に粘着剤を塗布した透明フィルムを密着させ、印刷面を破ったり傷つけたりすることなく剥ぎ取ること及び剥ぎ取った印刷面をスクラップブックに貼り保存することが記載されているから、これをラベルに適用して「ラベルを破ったり傷つけたりすることなく容易に剥がし、これを展示保存する」という本願考案の目的、技術的課題を想起することは、何ら困難なことではない。
4 取消事由4(相違点2についての判断の誤り)について
審決が例示した周知技術は、シート類の保存という観点から見れば本願考案と同一の技術分野に属するから、技術分野が相違するとの原告の主張は誤りである。
感圧性接着剤層を用いたラベルは周知であり、そのようなラベルは、再度離型シ-トに戻すものではないが、ラベルより離型シ-トの方を広くすることが一般的である。そして、本願考案のように離型シ-トを保存具として用いるならば、透明プレートを離型シートに再度貼り付けるのであるから、透明プレートより離型シ-トのほうを広くすることがその趣旨に適うものであって、これは当業者に自明な事項にすぎない。
本願考案における離型シートのように、シ-ト状のものをバインダー等で保存することはシステム手帳などにも見られるように周知慣用の技術手段であり、この周知慣用の手段を採用しようとする場合、ファイル代を設けることは当然の技術事項であって、この点も当業者にとって自明な事項である。
5 取消事由5(相違点3についての判断の誤り)について
審決は、「接着層に離型シートを貼り合わせたものにおいて、離型シートを剥がした後再び紙状部材と貼り合わせ一体化する」点で比較すれば、アルバムも本願考案も同一の技術的思想としてとらえることができるといっているのである。したがって、アルバムは、それ自体で何も剥がし取らないし、剥がし取ったものを保存することもできないということは、審決を誤りとする根拠にならない。
要するに、本願考案は、ある基本の公知技術に、単に周知の手段を寄せ集めたにすぎないものである。
第5 当裁判所の判断
1 取消事由3について
(1)ア 甲第2号証によれば、引用例には、「従来における新聞、雑誌等の印刷物に掲載された情報(記事、写真等)の収集、整理手段として、印刷物の必要個所をハサミ若しくはカッターナイフ等の道具で切り抜き、スクラップブックに糊付けする方法がある。ところが、かかる方法によれば、所望の記事、写真が紙面の表裏の位置にある場合には、いずれを切り抜くか取捨選択しなければならず、情報集収上不都合であった。・・・本発明はこのような事情に鑑み開発されたもので、印刷物掲載の情報の集収、整理作業の迅速化及び能率化を図るとともに、収集、整理された情報の保存性の維持向上を目的として開発されたものである。」(1頁左下欄14行ないし右下欄13行)、「従来の切り抜き方法では不可能であった一枚の印刷紙の表及び裏に掲載された記事をスクラップすることができ、収集漏れを防止できる。ハサミ若しくはカッターナイフ及び糊若しくはセロファンテープ等の道具が一切不要であるので、容易にポケットに収納でき、スクラップ作業の能率化が促進される。・・・その他、指紋、印鑑を写し取ることも可能である等、極めて有効な印刷物のスクラップ方法の発明である。」(2頁左下欄5行ないし19行)との記載があることが認められ、上記記載によれば、引用例記載の発明は、必要個所をハサミ若しくはカッターナイフ等の道具で切り抜き、スクラップブックに糊付けするというのが従来の方法であったところの新聞、雑誌等の印刷物に掲載された記事、写真等のスクラップ方法についての発明であることが認められる。そして、引用例記載の発明の技術分野における上記従来の方法は、ワイン、清酒、ブランデー等のラベル剥がし保存に転用できないことが明らかである。
イ 一方、前記第2の4の当事者間に争いのない事実によれば、本願考案は、ワイン、清酒、ブランデー等のビンや缶を水に浸けてラベルの接着剤を溶かし、ビンや缶からラベルを剥がして保存するというのが従来の方法であったところのラベル剥がし保存具についての考案であることが認められる。そして、本願考案の技術分野における上記従来の方法を、新聞、雑誌等の印刷物に掲載された記事、写真等のスクラップ方法に転用できないことも明らかである。
ウ また、従来、新聞、雑誌等の印刷物に掲載された記事、写真等のスクラップ方法ないしこれに用いるものと、ワイン、清酒、ブランデー等のラベル剥がし保存方法ないしこれに用いるものとが、相互に転用されたり、製造販売する業者が同一であるのが普通であったりした事実を認めるに足りる証拠はない(正確には、ラベル剥がし保存具については、そもそもそれが従来存在したと認めるに足りる証拠がないから、その製造販売業者が存在したと認めることもできない。)。
エ さらに、引用例記載の発明を用いる対象物である新聞、雑誌等の印刷物に掲載された記事、写真ないしこれをスクラップしたものと、本件考案を用いる対象物たるラベル付きのワイン、清酒、ブランデー等ないしこれから剥がされたラベルとの間に、製造販売する業者が同一であるのが普通であるという関係があったと認めるに足りる証拠もない。
オ 以上のとおり、引用例記載の発明と本願考案とは、技術分野が異なるうえ、双方の技術分野は、従来から技術の転用が行われたり、当業者が重複している等の親近性のあるものとも認められない。したがって、引用例記載の発明を技術分野の異なるラベルに適用して、当業者が相違点(1)に係る本願考案の構成をきわめて容易に想起し得たということはできないものといわざるを得ない。
(2) 被告は、引用例には、印刷面に粘着剤を塗布した透明フィルムを密着させ、印刷面を破ったり傷つけたりすることなく剥ぎ取ること及び剥ぎ取った印刷面をスクラップブックに貼り保存することが記載されており、一方、ラベルも印刷されたものが大部分であるから、これをラベルに適用して、ラベルを破ったり傷つけたりすることなく容易に剥がし、これを展示保存するという本願考案の目的、技術的課題を想起することは何ら困難なことではない旨主張する。
ア しかし、まず、引用例記載の発明と本願考案との上記技術分野の隔たりに照らすと、本願考案に関する当業者が引用例記載の発明に着眼すること自体、きわめて容易であったとすることはできないというべきである。
イ 次に、本願考案に関する当業者が引用例記載の発明に着眼したとしても、引用例記載の発明から本願考案を想起することがきわめて容易であったとすることはできないというべきである。
前記(1)アの認定に係る引用例の記載によれば、引用例記載の発明は、新聞、雑誌等の印刷物から表面の印刷面だけを剥ぎ取ろうとするものであって、その剥ぎ取る量が、裏面に損傷を与えない程度の少ないものでなければならないことが認められる。
一方、ラベルの収集家の収集目的はラベル紙全体にあることは明らかであるから、ラベル剥がし保存具は、ラベルと容器の間にある接着剤に抗して、ラベル紙をできるだけ多く剥ぎ取ることが望まれるものと認められる。
そうすると、ラベル剥がし保存具が備えなければならない接着力は、新聞、雑誌等の印刷物を対象とする引用例記載の発明の接着力とは当然に相違するものであり、当業者が上記相違を認識していることは明らかであるから、その当業者において、引用例記載の発明をそのままラベル剥がし保存具に転用して、所要の作用効果を奏すると認識するものと認めることはできない。したがって、上記相違にもかかわらず、当業者が、引用例記載の発明を、技術分野が異なり、技術分野に親近性もないラベルに適用して、ラベルを破ったり傷つけたりすることなく容易に剥がし、これを展示保存するという本願考案の目的、技術的課題をきわめて容易に想起し得たものということもできない。採用すべき接着剤の接着力の選択は、事後的に考えれば、ラベル剥がし保存具における方が引用例記載の発明におけるより容易であることは原理上明らかであるが、これにより上記結論は影響を受けるものではない。
(3) 被告は、本願考案も引用例記載の発明も、粘着層を有する透明プレートを用いて印刷物を剥ぎ取り、これを保存するという技術的思想では同一のものである旨主張する。しかし、前述のとおり、両者は、技術分野も異なり、技術分野の親近性も認められないうえ、上記相違があるのであるから、両者が上記のような抽象度において技術的思想を同一にするからといって、一方から他方に至ることがきわめて容易であるということにはならず、被告主張の技術的思想の同一性は、前記認定を左右するに足りるものではない。
2 以上のとおり、相違点1についての審決の判断は、誤りであって、この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、その余の点につき論ずるまでもなく、審決は、違法であって、取消しを免れないことが明らかである。
第6 よって、本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 春日民雄 裁判官 山田知司)
<省略>